成り立ちと由来

無能上人像

無能寺って不思議な名称ですよね

無能寺は江戸時代の中ごろ、慶長元年(1596)創建。創建当初は「正徳寺」という名前のお寺でした。改称のきっかけは、桑折を拠点に、福島と山形を旅して回った「無能」という名前のお坊さんです。

無能(むのう)上人(しょうにん)(1683―1719)は江戸中期、現在の石川郡玉川村の生まれ。

「念仏によって阿弥陀仏の極楽浄土に往生できる」という教えを広めるために、福島と山形の両県を巡り歩いた浄土宗の僧侶です。

南は本宮三春から北は山形天童を巡り、城下町から小さな集落に至るまで人々にお念仏の教えを説きました。

行年、37歳。「(よろず)の事を(いと)ひ捨」てた非常に苛烈でストイックなお坊さんで知られています。一日10万遍のお念仏を、寝る間も惜しみ、着衣のまま一日中横になることなく(常坐不臥)称え続けました。
生涯に称えたお念仏の数は三億六千遍を超えると記されています。

自らに厳しく、超人的な生活を続けた一方で、人に対してはとても柔和で、誰にでも常に敬いの態度で接しており、「姿容美和」と称され、眉目秀麗だったとの記録があります。

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